児童虐待

昨日、2つのテレビ番組で虐待の特集を見た(それぞれ別の内容)。
ハルカを産んでから「虐待する親の気持ちが分かる」と思うようになった。正確に言うと「わかる」じゃないような気がするけど、うまい言葉が見つからない。
子どもに腹が立ったり、思うようにいかなくてイライラしたりして、あぁ、こんな時に虐待してしまうのかな?と、虐待は自分とは無関係ではないんだということを感じた。
だから余計に虐待のニュースを見ると「またか」と悲しくなると同時に、腹が立ってしかたがない。
事件が起こる度、「しつけだった」という親の供述を聞くけれど、恥ずかしげもなくよく言えるなと思う。自分の人間としての未熟さを棚に上げて、子どもに責任をなすりつけるなんて。「子どものためのしつけ」「子どもが悪さをしたから」。心に深い傷を負わせたり、命を奪っておきながら「しつけ?」。
親も過去に虐待を受けていたとか、いつも優しい人なのに魔が差したとか、そういうことで減刑を・・・という人もいるけれど、虐待をした親に同情なんかしない。虐待をしてしまった親に対する原因究明やフォローは、裁きを受け、償いをしてからでいい。


あぁ、自分こそ棚に上がってしまった、今日の日記。
でもやはり、決して「自分もするかもしれない」なんて思ってはいけないのではないかと思う。もちろん「自分がするわけない」という思い込みも危険。「自分は絶対しない」という固い決意のようなものを持っていたい。そう思う。



理想。